2019年8月6日火曜日

MTGにおける有料noteの是非、鳴かず飛ばずの再び

有料noteの是非は、1度議論が巻き起こって、別に書くのは自由で駄目な奴は淘汰されるしそれが市場原理だよなぁとうのが正直な感想。

文章って、そういうもんでしょ。

便所に落ちてるちり紙にすら劣るかもしれないし、千年の時を経ても世界中で読み続けられるかもしれない。

それでも、文章はその個人を確固たる存在にする一つのツールであり、あくまで概念でありながらもその実本質を定義するいわばゴーストともいえる存在なのだ。


だから……性根はそう簡単には変わらないっていうことやねん。

誤爆よりも、根本が鳴かず飛ばずだったってことよね。



















noteというツールの価値はさておき、一次情報のやり取りが直接でき、かつ換金性に優れているというのは凄いことだと思います。

アフェリエイトにしろ、ユーチューバーにしろ、換金性という点では、ユーザーとの直接取引ではなく、あくまで広告業者を媒介にする必要がありました。

それが、いわゆる生の情報をユーザーに直接届けることができ、ユーザー側も直接お金という形で届けることができるわけで、石のお金時代から数千年、人類の市場原理はいわゆる大規模集約型である工場制機械工業時代から、家内制手工業による直接やりとりに立ち返ったかと思うと万感の意があり、質の良し悪しはさておき、ええやんという考え――もちろん、批評はいいと思うんやけど、無造作な批判は、時と場合によるよなぁ。












当時のやつ。

大本が消されちゃってるけど、長々と書いてるし、思想は読み取れるような気がする。

結局は俺より弱い奴は書くなというのが透けて見えてしまうわけで、クオリティーが云々とずっと書いてるけど、それをは1個人でやれることではないし、圧倒的な経歴と技量を持つ人物ぐらいしか、本当に万人を納得させることは出来ないだろう。

文殊の知恵としての市場原理に現状頼るしかないし、有料記事の質の低下って、元々質の高いものしかないわけじゃねぇだろうと思ってまうし、別にええやん。

金払うやつは払うし、払わない奴は払わないし、駄作を買ったから今後他の有料記事を買わなくなるって、それはもう、個人の質やろうに。

言ってることって、それっぽく書いてるけど、「糞漫画を買ったから今後漫画買いません(キリっ」ってことを危惧してるってどんな状況やねん。

まぁ、色々な考えあっていいし、別段当時も改心なんぞしてなかったから個人アカウントでやるのはいいけれど、やらかしが誤爆と重なるって、そりゃあ鳴かず飛ばずの学習できないってなるわいな。

企業アカウントなら速攻首だけど、運営元の委託先っていう場合はどうなんだろうね。

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