2018年8月27日月曜日

エッセンシャル思考とMTGにおける取捨選択

エッセンシャル思考という考え方がある。


最小の時間で成果を最大にする――自身がやるべきことを、取捨選択していく。

情報過多の社会ではあるが、その大部分が無駄であり、本質をとらえ集中することが大事だと説くのである。

MTGは、リソース管理のゲームである。

常に取捨選択が行われているのだ。





手札、マナ、盤面、相手のデッキ、自分のデッキ、時間、対戦相手――全てのリソースを費やし、勝利を目指す。

リソースは、有限である。

第一回戦と最終戦、心身の疲労は、如実に影響するだろう。

どこまで読み、どこで踏ん切りをつけるか。

よく言われるのが、そのタイミングの攻守である。

どちらが攻め手で、どちらが守り手なのか、その判断がゲームの趨勢を左右する。

MTGは、目まぐるしく攻守が入れ替わる。

ライフを0にするにせよ、ライブラリーアウトを目指すにせよ、盤面で圧倒するにせよ、だ。

どこにどこまで、リソースを費やすか。

それは、大会前にもいえる。

メタを読み、デッキを調整し、習熟に費やす。

そもそも、MTGには様々なフォーマットがある。

スタン?

モダン?

リミテッド?

今後の大会予定としては、9/1に環境名人戦、そして9月の半ばからPPTQに何回か出る予定である。

もはや、環境名人戦に時間を費やす理由があるかと聞かれれば、明確にないと答える。

9/1に環境名人戦→9/8-9に日本選手権と出るのであれば、費やす価値があるだろう。しかし、今回の日本選手権は、見送った。

晴れる屋主催の大会では、2番目に高額の賞金がかかっている。

しかし――現在のスタンよりも、モダンの方が面白い。間違いなく、面白い。そのうえに、PPTQまである。

時間をかけるのであれば……そもそも、環境名人戦に出る必要があるのだろうか。

環境名人戦に出るのは、情、である。

エネルギーと《スカラベの神》に、弔いの場を。

ただ、それだけだ。

なかなか、エッセンシャル思考には届かない。

RPTQが、東京と京都で行われた。

その中には知人も含まれている。

思えば、随分と差がついたものだ。

どこで差がついたのか。

こちらは、しがない古参兵に過ぎない。

MTGが上達する場はある。

思うに、恵まれていた方だろう。

考えてみれば、プロが身近にいたわけだしね。

しかし、それを生かせたとは言い難い。

今も、チームに所属しているが、ほぼ点呼用であり、気が向けばMTGの話をする程度だ。


それもまた、MTGだろう。

時間が有限――で、一つ。

アイアンワークスが嫌いなのと同じ理由なのだが、あまり時間を使われると、嫌なものである。

その点では、今回のモダン神決定戦は、うん、ちょっと時間が――平等な使い方ではなかった。

3本先取で3時間費やすのは、やはり尋常ではない。昔の日本選手権で、塚本選手が同じように行っていたが、後ろからみていると、何も考えることのない場で考えていたという。

無駄、である。

モダン神となった小田さんのプレイは、適切だったと思う(挑戦者決定戦の緑白カンパニーには感銘を受けました!)

長考しますと宣言すれば、長考してよいものではない。

一応、自分もプレイは早い方だと思う。

だからこそ、無尽蔵に時間というリソースを使われると、おいおいと思ってしまう。

上記の点、けっこう誤解している人がいるしね。

少し考えます――少しやぞと。

なにだらだらしとんねんと。

そもそも、そんなに考えることある?

びっくりしたのが、先手でマリガンなしの対戦相手が、土地のプレイで考えだしたとき。

いや、勘弁してくれてよと。こっちはマリガンして時間あったやん。なんでそんな手札キープしちゃったのと。

こういうのも、エッセンシャル思考と対極なんだろうな。

マリガンという情報が追加されて、集中できなくなったんだろう。

えてして、取捨選択は難しい。

市川プロや八十岡プロのように、素早いプレイがいい。

自由が恐ろしいのは、誰でも適切な取捨選択が行えないからだ。

それは、MTGも人生も、一緒である。






























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