東大卒のプロゲーマーであり、豪鬼を使いEVO2017を優勝されています。
彼は、言います。
自分達は変な人の集まりであると。
敵は、世間であると。
彼は、プロゲーマーです。
プロのゲーマーとして認知されています。
どうすれば、プロと名乗れるでしょうか。
いえ、プロとして世間に認識されるのでしょうか。
様々な見解があると思いますが、自分が考えるのは、プロと名乗る何かで食べていけているということでしょうか。
例えば、アルバイトで糊口を凌いで。
例えば、会社員をしながら土日に活動。
それはプロとは呼べないでしょう。せいぜい副業が関の山です。
ときど選手は、東大卒業後、公務員の職を蹴ってその世界に入りました。
まだ、賞金制の大規模大会がそこまでない時代。ウメハラ選手と並ぶ、日本の先駆者といえます。
彼は、ゲームが強いというだけではありません。
勿論、卓越した技量を誇ります。
EVO2017、瞬獄殺を決めた場面は、勝負師の成せる業でしょう。
しかし、それだけではないのです。
彼は、変な人の集まりと述べます。
ですが、変な人が集まるだけの、奥深さと歴史があるというのです。
それこそ、一個人が一生涯をかけるだけのものだと。
それを、どうやって認めさせるか。
彼は、東大卒という旗印を掲げています。医学部出身である手塚先生のようにです。
ストイックに、生きています。
プロアスリート顔負け――ジムに通ってフィジカル面の強化をはかり、自分を追い込みメンタル面を整えています。
チームにて技術を磨く――そう、同じ場所で寝起きし、時にはライバルたちと励んでいます。
でも、プロ選手ってそういうものじゃないでしょうか。
プロ野球選手は?
プロ棋士は?
プロテニス選手は?
努力に努力を重ねる。その本質は、変わりないでしょう。才能があるのは、当たり前なのです。そこに、研鑽を重ねるのです。
このブログは、MTGのブログです。だからこそ、必要な問いかけが――現在のMTG業界で、ここまで打ち込んでいる選手がいるでしょうか。
ここまで打ち込み、それを発信している選手が?
いないと、思います。
晴れる屋オーナーである斎藤選手は、近い場所にいるのかもしれません。
ですが、恐らく、ここまで世間と敵対できる――そこまでの域には、達していないでしょう。
市川選手には本業があります。行弘選手も、近しい場所に立っているでしょうが、まだTVに呼ばれる程ではないです。
それは、MTGというゲームの現時点での限界なのかもしれません。e-スポーツが、世間一般に迎え入れられているかといえば、否です。では、ゲームの一分野である、比較的新しいカードゲームに至っては?
晴れる屋Hopesが選考大会を行いました。それは、プロ、と呼べるでしょうか。
これは、答えられます。否、でしょう。
5万円の賞金と、副賞にTシャツ。こう書くと、まあ、まあまあ、そんなもんでしょうかと。プロになるための応援――に、なってもいないと思います。だからこそ、あの追放を生む事件が発生することになるのでしょう。
過去に、現在はサイゲームスに所属している山本選手が収入を公開したことがありました。あれ以後、その手の話を聞いたことがありませんが、原稿代含め、どこまでの収入があるのか気になるところです。
そう、場。
世間を巻き込み、同好の士を盛り上げていく。プロとして、専業として生きていくだけの場を整える。そのために、どうやってプロ選手として名乗りをあげ、プロ選手として生きていくか。
その生きざまが、どれだけ人を引き寄せられるか。
賞金を稼ぐには、それだけの賞金を出す場――大会が必要です。
安定して打ち込むには、最低限生活するだけの収入が必要です。
スポンサードされる。そして、全てを賭ける。
あの公務員ランナー川口選手は、プロとなりました。プロとして生きていくだけの算段がついたからでしょう。
会社員になるのも、プロゲーマーになるのも、大きくかわりないのもしれません。人生を賭ける――なにも賭けられない人生も、つまらないものなのかもしれません。
ゲームは悪という風潮はあります。
ゲームばっかりしないで、勉強しなさいと。
しかし、番組の中で、ときど選手はゲームをするために勉強をしたと述べています。
ゲームは、人生の悪なのでしょうか。
悪の一面が、あるでしょう。
しかし、善の一面もあるはずです。
それこそ、ゆうやんさんのスマブラとプリン師匠のように。
ゲームは、所詮ゲームです。スマブラの話で必ず思い出すのが、小学生の時に不登校だったT君。小2から不登校になって一度も学校に来ず、俺は顔すら見たことなかったのだけど、小4の時に「プリントを渡しに行ってくれ」って先生から頼まれて、たまたま俺が行ったら、お母さんが出てきて、その時スマブラの音が聞こえた。— ゆうやん/Yuya Hosokawa (@yuyan_mtg) 2018年6月14日
でも、それは、将棋だって囲碁だってそうです。
無駄なことかもしれない。
でも、人生をかけられるだけの無駄なこと、なのです。
サッカーだって、野球だって、いってしまえば勉強だって、生物として生きていくには無駄なことでしょう。
睡眠・食事・性。
人間の三大欲求です。
しかし、人という生き物は、無駄を手に入れました。
無駄なことを行うことを身に着けました
生きていくということは、無駄なことを嗜むということなのかもしれません。
嗜み、生業にする――そこまで、出来れば、面白き事でしょう。
すばらしい記事をありがとうございます
返信削除自分もときどさんのドキュメンタリーに感銘を覚えました
情熱が広がると良いですね