2018年8月15日水曜日

プロゲーマーときどとMTGのプロ

情熱大陸にて、プロゲーマーときどさんが特集されました。

東大卒のプロゲーマーであり、豪鬼を使いEVO2017を優勝されています。

彼は、言います。


自分達は変な人の集まりであると。


敵は、世間であると。






彼は、プロゲーマーです。

プロのゲーマーとして認知されています。

どうすれば、プロと名乗れるでしょうか。

いえ、プロとして世間に認識されるのでしょうか。

様々な見解があると思いますが、自分が考えるのは、プロと名乗る何かで食べていけているということでしょうか。

例えば、アルバイトで糊口を凌いで。

例えば、会社員をしながら土日に活動。

それはプロとは呼べないでしょう。せいぜい副業が関の山です。

ときど選手は、東大卒業後、公務員の職を蹴ってその世界に入りました。

まだ、賞金制の大規模大会がそこまでない時代。ウメハラ選手と並ぶ、日本の先駆者といえます。

彼は、ゲームが強いというだけではありません。

勿論、卓越した技量を誇ります。

EVO2017、瞬獄殺を決めた場面は、勝負師の成せる業でしょう。

しかし、それだけではないのです。

彼は、変な人の集まりと述べます。

ですが、変な人が集まるだけの、奥深さと歴史があるというのです。

それこそ、一個人が一生涯をかけるだけのものだと。

それを、どうやって認めさせるか。

彼は、東大卒という旗印を掲げています。医学部出身である手塚先生のようにです。

ストイックに、生きています。

プロアスリート顔負け――ジムに通ってフィジカル面の強化をはかり、自分を追い込みメンタル面を整えています。

チームにて技術を磨く――そう、同じ場所で寝起きし、時にはライバルたちと励んでいます。

でも、プロ選手ってそういうものじゃないでしょうか。

プロ野球選手は?

プロ棋士は?

プロテニス選手は?

努力に努力を重ねる。その本質は、変わりないでしょう。才能があるのは、当たり前なのです。そこに、研鑽を重ねるのです。

このブログは、MTGのブログです。だからこそ、必要な問いかけが――現在のMTG業界で、ここまで打ち込んでいる選手がいるでしょうか。

ここまで打ち込み、それを発信している選手が?

いないと、思います。

晴れる屋オーナーである斎藤選手は、近い場所にいるのかもしれません。

ですが、恐らく、ここまで世間と敵対できる――そこまでの域には、達していないでしょう。

市川選手には本業があります。行弘選手も、近しい場所に立っているでしょうが、まだTVに呼ばれる程ではないです。

それは、MTGというゲームの現時点での限界なのかもしれません。e-スポーツが、世間一般に迎え入れられているかといえば、否です。では、ゲームの一分野である、比較的新しいカードゲームに至っては?

晴れる屋Hopesが選考大会を行いました。それは、プロ、と呼べるでしょうか。

これは、答えられます。否、でしょう。

5万円の賞金と、副賞にTシャツ。こう書くと、まあ、まあまあ、そんなもんでしょうかと。プロになるための応援――に、なってもいないと思います。だからこそ、あの追放を生む事件が発生することになるのでしょう。

過去に、現在はサイゲームスに所属している山本選手が収入を公開したことがありました。あれ以後、その手の話を聞いたことがありませんが、原稿代含め、どこまでの収入があるのか気になるところです。

そう、場。

世間を巻き込み、同好の士を盛り上げていく。プロとして、専業として生きていくだけの場を整える。そのために、どうやってプロ選手として名乗りをあげ、プロ選手として生きていくか。

その生きざまが、どれだけ人を引き寄せられるか。

賞金を稼ぐには、それだけの賞金を出す場――大会が必要です。

安定して打ち込むには、最低限生活するだけの収入が必要です。

スポンサードされる。そして、全てを賭ける。

あの公務員ランナー川口選手は、プロとなりました。プロとして生きていくだけの算段がついたからでしょう。

会社員になるのも、プロゲーマーになるのも、大きくかわりないのもしれません。人生を賭ける――なにも賭けられない人生も、つまらないものなのかもしれません。

ゲームは悪という風潮はあります。

ゲームばっかりしないで、勉強しなさいと。

しかし、番組の中で、ときど選手はゲームをするために勉強をしたと述べています。

ゲームは、人生の悪なのでしょうか。

悪の一面が、あるでしょう。

しかし、善の一面もあるはずです。

それこそ、ゆうやんさんのスマブラとプリン師匠のように。

ゲームは、所詮ゲームです。

でも、それは、将棋だって囲碁だってそうです。

無駄なことかもしれない。

でも、人生をかけられるだけの無駄なこと、なのです。

サッカーだって、野球だって、いってしまえば勉強だって、生物として生きていくには無駄なことでしょう。

睡眠・食事・性。

人間の三大欲求です。

しかし、人という生き物は、無駄を手に入れました。

無駄なことを行うことを身に着けました

生きていくということは、無駄なことを嗜むということなのかもしれません。

嗜み、生業にする――そこまで、出来れば、面白き事でしょう。


1 件のコメント:

  1. すばらしい記事をありがとうございます
    自分もときどさんのドキュメンタリーに感銘を覚えました
    情熱が広がると良いですね

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